研究概要 |
本研究で明らかになったことは以下の3点である。 1.急速な大衆化過程により,日韓の初年次教育機能は分散・多様化が進展した。 日韓双方とも,初年次教育への注目時期は学生受入の急膨張期であり,同時に,「学力低下論」とセットになるところがある。学歴の重要性とともに,試験の選抜機能に極めて敏感な文化をもつ日韓両国にとっては,選抜そのものの信用がゆらぐことで,一種の不安感や警戒感が起き,それが初年次教育の重要性へとつながる傾向がある。「入学」をめぐる文化的背景が,初年次教育への多様な解釈を生んだと言える。 2.「国策」と人材育成との関連が強いため,初年次教育の位置づけに欧米とは異なる葛藤(構造)要因が存在している。 日韓ともに,半世紀にわたって大学教育が「専門」と「一般教養」に分かれてきた。近代高等教育の発展過程で「実学」を重視し,産業立国を担う人的資源の育成を一貫して行ってきた両国にとっては,実質は専門教育主体で大学教育が展開された。ところが,「専門」と「教養」は互いにディスコミュニケーションの状態で初年次教育に関する注目とカリキュラム編成が起きており,その結果,「専門」「教養」双方の立場からの初年次教育の主張がなされ,欧米とは別の葛藤要因が生起している。 3.地方大学を中心に,グローバリズムにおける「個性」の表現として初年次教育が「活用」されている。 初年次教育がグローバリズムにおける大学間競争・地域間競争を勝ち抜く「手段」の一つとなっている側面を垣間見ることができる。特に,もともと資源が少ない地方大学にとっては,あらゆる機会をとらえて資源獲得に躍起になっており,その手段として活用されている面もある。また学生指導をめぐる「国家統制性」及び学生運動をめぐる政治姿勢のプロセスが,初年次教育をめぐる性格を定義づけるファクターとなった点も指摘できた。
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