「連」と呼ばれる筏の規格が流域によってどのように定められていたのかということに注目して、京都周辺の丹波材(桂川、由良川、安曇川)、紀州の吉野材・熊野材(紀ノ川、熊野川)、鳥取藩の智頭材(千代川)について、各川筋における「連」の規格と変遷について史料調査、収集を行った。桂川、由良川では、平安時代の貢納材に由来すると考えられる「丈四」(1丈4尺=14尺)という規格が近世においても流通していたことが確認された。それは「丈間土伝」という正味長さ14尺の材で、主として表柱に使われたことから、近世の京都町家の軒高は14尺前後の軒高にそろうことになった。また「丈五」という流通材もみられるが、これは材木屋が製材したものとみられ、価格は「丈四」の4割高であった。しかし、桂川、由良川と同じ丹波産地に発し琵琶湖を経由して京都を主な消費地とする安曇川の流下材には「丈四」はみられない。吉野材は吉野川、紀ノ川を流下してその多くは大坂方面に運ばれた。丸太で一間=七尺、角材で一間=七尺五寸の尺換算をとり、流通規格は、一丈・二間・二間半・三間・四間であった。一方、熊野材は主に江戸との取引が活発でその多くが新宮から江戸へと回漕された。そしてその流通規格は十三尺(杉、檜)と十五尺(杉、檜以外)であった。智頭材は一間=七尺という尺換算値をとり、九尺・一丈・二間・二間半・三間の規格があった。「丈四」もあったが、数量は少なく筏の上荷にされるくらいであった。このような相違がみられることについては、各河川における浚渫工事の状況や中継する材木市場などの相違が条件として考えられるが、なお精査を要する。(桂川水系の筏関係史料所有者(研究協力者)の死去により、新所有者への相続・引き継ぎが完了するまで閲覧ができないため、6ヶ月研究機関を繰り越すことになった。)
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