1.研究の意義と重要性 平成19年度は、主として英国人による上海旧英租界の道路、土地、下水道開発の過程を追求し、近代上海の都市構造、都市形成原理を明らかにした。今年度から検討を行う旧日本人街の都市開発も、英国を中心に行われていたことがこれまでの史料調査より判明した。旧日本人街の道路開発手法はほぼ英租界の開発手法と一致していることも史料からわかった。そのため、昨年度の研究成果は今後の旧日本人街の研究のベースになるものとも言える。 今日都市再開発が急速に進んでいる中、旧上海市街地の街路形状、街区形状を復元し、旧来の都市空間の特徴を分析する本研究の成果からは、現在上海の直面している都市計画の問題、例えば旧市街地の交通整備、旧市街地と新市街地の連絡の仕方等についても有意な提言ができうると考えられる。 2.研究内容 平成19年度は、現在外灘を含める上海中心部が、1845年英国人により開港された以前、creek(河川)とfoot path(村道)が縦横して走り、それらの間に中国人村落と考えられるvillagesが存在していたことを、開港直後の1849年の「Map of shanghai」より確認した。そのことから、英国人は旧上海の既creeksの埋立てやfoot pathsの拡張工事により、それらを近代上海のグリット形の街路システムとして形成したことを古地図や史料より明らかにした。また、近代に開発された上海の主要街路は現在もそのまま旧市街地の主要交通網として機能していることも示した。一方、公道が開発される以前、外国の民間開発業者はcreekやfoot pathに沿って勝手に土地開発を進んでいたことが「上海道契」の解読より解明した。当時の公道や下水道などの土地開発が後追いの形に進まざるをえなかった状況と背景も検討した。さらには、土地環境の整備に急いでいた民間開発業者は、英租界政府と交渉し、道路開発用地の寄付や下水道開発経費の提供などにより公道や下水道整備事業に協力していたことも明らかにした。以上、19世紀における英租界政府の都市開発実態を明確にした。この時代の都市開発の結果は、現在上海の不整形街区の形成原因であることも確認した。
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