本論は上海租界の都市形成過程を踏まえつつ、近代上海における日本人居住地の形成過程と空間的特徴を、英、米、中との国際関係の中で明らかにした。まず、1840年代から、イギリス人は、租界として開発された以前の上海に存在していた河川、村道を生かしながら、土地、道路を開発していたこと、及び下水道の建設過程を明確にした。次に、日本が独自の居留地を諦め、租界全域に渉る都市開発権を得た過程を辿った。日本は英米施設との立地関係、交通条件や地価等に応じた都市施設配置を進めたが、結果として上海の日本人居住地の確保は後回しにされた実態を明確にした。一方、日本人居住地では、英米が供給する里弄住宅を主体とする借家居住に終始したことを、租界外の北四川路地区の住宅遺構等の調査を通して示した。その住宅形式は洋風ではあったが、畳を持ち込む等の動向もそこに読み取った。
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