平成20年度は、昨年に引き続き、鎌倉時代から江戸時代初期に至る建築工匠に関する基本史料の収集・整理を行った。特に、神宮文庫や国立公文書館等において、工匠資料の調査を行ない、さらに、既に公刊されている寺社文書についても、同様の調査を行なった。その結果、伊勢神宮については、室町時代後期から江戸時代初期にあたる16〜17世紀を中心に、神宮工の系譜について一定の成果が得られた。伊勢神宮では、従来、天正15年(1587)に大工職が破棄されたと指摘されていたが、実は、同じ工匠がその前後の時期に大工職を有したことが確認できた。伊勢神宮の工匠組織は、内宮が4つ、外宮が3つの工匠グループ(「坊」と呼ぶ)で構成され、それぞれのグループの長を「頭工」、副長を「頭代」と呼ぶ。それぞれの大工職は特定の工隆家が代々継承するが、その始まりを史料上で確認すると、内宮の一頭工・三頭工と外宮の二頭工は、15世紀後期の文明年間から、外宮の三頭工は13世紀初期から、同じ工匠家により大工職が継承される。そして、この工匠家は、内宮の一頭工が天正13年式年遷宮まで、内宮の三頭工が天正3年仮殿遷宮の前まで、各々大工職を継承する。一方、外宮の二頭工と三頭工は、16・17世紀全般を通じて同じ工匠家により大工職が継承される。このように、伊勢神宮の内・外宮の頭工・頭代においては、天正15年前後の時期において、内宮の一頭工を除いて、同じ工匠家により大工職が継承されており、この大工職破棄令は、実効性を持たなかったといえる。 以上のように、中世末から近世初めにかけての、伊勢神宮等における建築工匠の活動形態の一端が明らかになりつつある。これにより、従来未開拓であった当該期の建築工匠史研究の空白部分を埋めるものになるといえよう。
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