平成21年度は、最終年度にあたるため、鎌倉時代から江戸時代初期に至る建築工匠に関する基本史料の追加収集・整理を行った。特に、神宮文庫や東大寺図書館・京都市歴史資料館等において、工匠資料の調査を行い、さらに、既に公刊されている寺社文書についても、同様の調査を行った。 その結果、伊勢神宮や北野天満宮等については、室町時代後期から江戸時代初期にあたる16~17世紀を中心に、建築工匠の系譜について一定の成果が得られた。伊勢神宮では、内宮が16世紀70年代の天正3年仮殿遷宮以降、外宮が16世紀50年代の永禄6年式年遷宮以降、頭工や頭代といった大工職に補任される工匠名や、その工匠が属した工匠家が知られる。工匠家としては、1つの工匠家で複数の大工職を継承する久保倉氏や北(来田)氏。16世紀以前から続く工匠家により大工職が継承される藤井氏。16世紀後期から17世紀にかけて大工職を継承した坂氏、梅屋氏、谷氏があげられる。一方北野天満宮では、16世紀において、大工職として御大工職と棟梁職が存在し、16世紀初期では、両大工職を一つの工匠家が所持した可能性があるが、16世紀中期頃では、御大工職を「左衛門」系の工匠家が継承し、棟梁職を弁慶家が継承する。また、17世紀では、大工職として棟梁の名称は使われず、御大工のみが使用され、それぞれ弁慶家と岩倉(木子・鈴木)家により継承される。 以上のように、昨年に引き続き、中世末から近世初めにかけての、伊勢神宮や北野天満宮等における建築工匠の活動形態の一端が明らかになりつつある。これにより、当該期の建築工匠史研究の空白部分を埋めるものになるといえよう。
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