研究課題/領域番号 |
19560654
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研究機関 | 近畿大学 |
研究代表者 |
桜井 敏雄 近畿大学, 理工学部, 教授 (60088424)
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研究分担者 |
城光寺 文章 近畿大学, 理工学部, 助教 (90088485)
大草 一憲 美作大学, 生活科学部, 准教授 (00088486)
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キーワード | 枝割 / 垂木 / 木割 / 寺院建築 / 神社建築 / 設計寸法 / 近世社寺 / 和様建築 |
研究概要 |
社寺建築を研究する上で最も基本となるのは木割で、それと深く関与するのが六枝掛斗〓(以下、組物とする)である。しかし、その経緯や特に枝割については十分に説明され明らかにされているとはいえない。本研究は以上のような問題意識に立ち、六枝掛のみならず枝割の背景と成立過程を明らかにしようとするのが主題である。中世建築の柱間についても1尺に延びがあるなど、1枝寸法に端数があらわれ、個別に建物の寸法計画が解釈され、柱径や柱高との関連のもとに全体的な流れの中で納得がいくような十分な説明があるとはいえない。禅宗様の柱間のアイタ比についても実寸で正確に3:2の比になっているものが少ないのは計画上大きな問題で、その背景には枝割の考え方が存在したと考えられる。六枝掛組物が普及・定着した近世にあって、三斗組外側の巻斗真々間に4枝を配する、四枝掛組物が存在することに問題を見出し、検討してみると、中世及び近世に四枝掛組物の多いことが判明した。しかも四枝掛以外に様々な手法が存在することが一部確認されており、なかでも四枝掛組物は、五枝掛や三枝掛とは異なり柱上で垂木を手挟むため圧倒的に多く存在し、六枝掛組物をとらない際の主流の手法であったことを明らかにした。こうした手法は重層の禅院三門や裳階をもつ禅宗様仏殿の下層垂木に認められ、不自然とは見られず受け入れられ、普及する契機となったものと考えられる。次年度以降は幕末から明治初頭の特殊なもの(大隅流の遺構)についても検討する。
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