本研究では社寺建築設計の際の六枝掛組物と木割との関係に着目し、これを枝割制の成立過程という問題意識に立ち、正規の六支掛組物以外の五枝掛、四枝掛などの遺構を中心に全体を分類し、遺構がどのように分布するか、それらの間の関係を比較検討し、それらの経年的なあり方や、変化の過程を明らかにすることを目的とした。 国の重要文化財、都道府県指定の遺構を網羅的に検討し、全体的な流れを明らかにしたものであるが、本研究の基本資料とした国が発刊している重要文化財修理工事報告書は極めて多数有り、加えてこれまで調査してきた研究室所蔵の膨大な資料を活用した。 前年度で行った補足調査と重文指定の遺構の比較検討を行うとともに、そのなかでも特に四枝掛けとなるような遺構で纏まった地域や、特別、規模が大きかったり、特殊なものについて検討する必要性に気がつき、それらについても調査と検討を加えた。 例えば高岡勝興寺・羽咋妙成寺・那谷寺などと深い関連をもつ金沢近世史料館所蔵の建仁寺流木割書の調査、禅宗様の多宝塔で規模最大の本門寺多宝塔をはじめとして、岡山西大寺牛玉所殿のように二軒で、地垂木は平行垂木で、飛檐垂木は扇垂木という全く考えられないものの発生と大隅流大工との関係など、新しい発見もあった。 問題はかなり拡大化し、非六支掛組物のタイプ間の関連性は全体的な視野を得ることができたが、木割との関係や、どこに大きな変換点や成立の契機があるかまで明確に規定することはなしえなかったが、次の研究の問題点を把握することができた。
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