本年度は、これまでに行ってきた研究結果を基盤とし、集団疎開だけでなく縁故疎開の体験者も調査対象に加え、学童疎開中の生活やエピソードとその後の人生についての語りを聞いた。疎開生活の体験者からは、学度疎開における辛い体験のみならず、戦後、疎開地から帰ってからの生活のほうが悲惨であったという語りが多く聞かれた。例えば、疎開地で東南海地震に見舞われ、目の前で友人の死を目撃し、戦後もずっと罪悪感を抱えて生きていたり、東京大空襲で家族を失い、疎開地にいた自分だけが生き残って戦争孤児となったケースなどである。なかには「てんかん」などの身体症状を伴っているものもあった。大人でも生きることが大変だった時代を、戦争孤児として生き抜いてきた人たちの一部には、「学童疎開は苦労のうちに入らない」と明言する人もいた。 また、縁故疎開であるが故の辛さも多く語られた。血縁といえども他人の家庭で、保護者のいない子どもの立場がいかに孤立した苦痛なものであったかを知ることができた。しかし、戦後も人間関係が続くため、縁故疎開について語る人は少ない。これらの情報から、出発点は学童疎開であっても、疎開に続く複数の外傷体験があることがわかった。学童疎開の体験者は、現在70歳前後である。今、聞いておかなければ、語られないままになってしまうかも知れない貴重な情報は多い。 次年度は、学童疎開とその後に続く体験に焦点を当てて聞き取り調査を継続する。また個々の語りの中からエピソードを抽出し、どのような外傷体験が重なっているのかを分析し、その体験の意味とそれらの体験が現在の生き方に与えている影響を考えてみたい。
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