研究概要 |
本研究は1690年から92までの2年間、長崎出島のオランダ商館付き医師として日本に滞在し、旺盛な好奇心と鋭い洞察力をもって日本を記録したドイツ人E.ケンペル(Engelbert Kampfer)と18世紀プロイセンの啓蒙主義者・官吏であったChr. W.ドーム(Christian Wilhelm Dohm)との間にある日本認識の相違についてヨーロッパの思想史上の転回を明示するものとして把握し、その意味を問うものである。方法として、ショイヒツァー編纂の英語版のケンペル『日本誌』(The History of Japan, 1727)とドーム編纂のドイツ語版『日本誌』(Geschichte und Beschreibung von Japan, 1777)との間の異同というよりも、むしろ両者の日本の「鎖国」についての見解の相違を比較検討することによって、ヨーロッパのアジア観の転回と合理主義思想に基づくヨーロッパ優位の思想を読み解こうと試みる萌芽的研究である。 日本の鎖国政策についてのケンペルとドームの相違について、この両者の評価の間にある約1世紀における思想史上の変化を中心的研究課題とした。そして、最新のケンペル全集5巻の編集者であるボン大学講師、オルデンブルク大学ヨーロッパ歴史研究所教授Dr. Herbert Haberland氏を訪ね意見交換を行った。日本の鎖国に関するケンペルのポジティブな評価からドームのネガティブな評価への移行の間には、ヨーロッパ近代の啓蒙主義の合理主義の展開による思想史上の転換、つまりアジア評価からヨーロッパ中心主義への移行が認められる、との私の研究テーマに、氏は疑問を提起された。その理由として、ケンペルは実際に日本に滞在したが、ドームはその経験がない理論家に過ぎない。従って、両者の日本の「鎖国」に関する評価の相違をもって比較対象とし、ヨーロッパの思想史上の転回を規定することには無理があるという見解を、氏は示された。 本研究はHaberland博士の意見を十分に顧慮し、日欧の思想の連関について少し時代の幅を拡大して再検討してみることとした。研究の意図と対象を再構成することで、Haberland博士の意図を斟酌しつつ萌芽的研究を実証的研究へと発展させるつもりである。
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