本研究は1690年から92年にがけて日本に滞在したドイツ・レムゴ出身のオランダ商館付き医師E.Kaempferが著した「鎖国論」に対して、そのドイツ語版『目本誌』』(Beschreibung und Geschichte von Japan、1777)の編纂者である1世紀プロイセンの官吏にして啓蒙主義者Chr.W.Dokmがネガティヴな見解を表明していることに注目し、(1)ヨーロッパとアジアの思想史的連関を研究するとともに、(2)ドームのユダヤ人・ユダヤ教に対する宗教的寛容が啓蒙主義の精神の自由という思想に基づくのみならず、アジアの儒教思想にも関連があることを証明しようとする萌芽的研究である。 クンパルのポジラィヴな江戸幕府の「鎖国」政策に対するドームの批判には、ヨーロツパ啓蒙主義の普遍主義が本来的に有しているアジアに対する優越的思想が認められる。しかし、ドームの寛容思想の根底にはユダヤ人を国家経済に利用しようとする経済原理だけでは理解できない原理が存在している。その原理とは、ヨーロッパのキスト教の原罪に由来する「道徳」とは異なるアジアの儒教「道徳」が有する人間本性の善を信頼する思想である。つまり、プロイセンのドームの政治道徳の根本を構成する啓蒙主義の法治主義に儒教の伝統的政治思想の根底にある徳治主義の影響が認められる。換言すれば滞在時は江戸幕府の行政シスラムの確立期であり、儒教の朱子学に由来する中国「堯舜」の理想的徳治政治の原理である君臣上下関係がモデルとされた。そして、この関係性には宗教的信仰を超える信頼が存在し、この意味で、宗教は自由であった。 啓蒙主義から見てケンペルの「鎖国論」にはネガティヴに検証されるべき多くの点があったが、道徳原理としての「徳」とそれに基づく「政治」の理想が、宗教と政治との分離という点において官吏ドームのユダヤ人・ユダヤ教に対する寛容思想の一部を形成した、と見ることができる。
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