本年度は、ポストモダン時代のエイリアンとして現れつつある、サイボーグとポストビューマン的な存在についての考察を行った。現代において、エイリアンは人間性そのものを問うものとして「サイボーグ」の姿で現れている。サイボーグがもっともその真の姿を見せているのは、宇宙探査という場面においてである。もともとサイボーグという概念は宇宙飛行士の身体改造という文脈で生み出されたものだった。かつては人間の道具(客体)とみなされたロボットが自律性を得るとき、彼らは主体性を備えたサイボーグとなり、その存在は人間性という社会的構築物を大きく揺るがす。 私たちが今、宇宙探査における探査ロボットとの関係の中で経験しているのは、ある意味で不気味な身体の延長感覚であると同時に、自律ロボットという新たなタイプの主体の誕生でもある。こうして生まれたポストヒューマン的エイリアンに対しては、フランシス・フクヤマのような保守派の論客が嫌悪を示す一方で、左派の意見は割れている。大衆文化におけるサイボーグの扱いも一様ではない。 人が「動物化」(東浩紀)する現代にあって、サイボーグのエイリアン性とは、人間性の危機であり、その変容可能性である。かつてサルと超人との問に位置するものと想像されていた人間は今や、有機体的なエイリアンとサイボーグ的・ポストヒューマン的異質生命との狭間で自己イメージを同定しようとしている。
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