モダニストの生育環境における宗教的要素がどう詩人・小説家の成長に関わったかを調べる作業を前年度より継続した。8月には、イェイツが少年期および青年期に住んだ住宅地ロンドンの複数箇所を訪れた。また、エリオットに関しては、生まれてから大学進学まで住んでいたアメリカのセントルイスに赴き、教会の宗派だけでなく、住民の構成(アングロ・サクソン、イタリア系移民、黒人、ユダヤ系住民など)の複雑さを認識した。さらに、1904年セントルイスで開かれた万国博覧会に高校生だったエリオットけ学校新聞の「記者」として派遣され記事を書いていることも判った。このセントルイス万国博では、フィリピンのある島から住民が連れてこられその生活が「展示」されていた。エリオットの異文化との本格的な出会いの一つがこの催しであったことは、後の『荒れ地』に現れるコンラッドの『闇の奥』の引用と照らし合わせると興味深い。また、近年、エリオットの祖父のWilliam Greenleaf Eliotの著作が次々と復刻されており、それらを入手して、エリオットの宗教観に与えた影響を考察した。祖父は、T.S.エリオットの生誕直前に亡くなっているが、祖父の言説は家庭内でまるで彼がまだ生きているかのように支配的なものだったと詩人自身が証言しているので、ユニテリアン教会の牧師でワシントン大学(セントルイス)の創設者だった祖父の宗教的著作を知ることは重要と考えられる。また、イェイツに関しては、彼の第2の故郷であるアイルランドのスライゴーでのサマースクールに出席し、メグ・ハーパーを初めとするイェイツ研究者と意見交換をした。ニューヨーク州のストーニーブルック大学で、イェイツの『ヴィジョン』に関する草稿のコピー(3000枚以上)を閲覧した。この草稿は手書き、およびタイプ稿の複写で、それを書籍版と照らし合わせながらチェックした。
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