一万年という長いタイムスパンを持つ縄文時代に相当する人骨資料は、一様ではない。形質学的には、前期においては華奢であった四肢骨が中期からがっしりとした頑丈なものになることが明らかにされている。これは環境適応などによるものとの指摘もなされている。 古病理学的所見においても、縄文時代を捉えなおすことができ、虫歯の所見が後期において高くなることなどを指摘できる。例えば、中期では2%で程度であった出現頻度が後期では4%と高くなっている。このように古病理学的所見として提示されるものが、時期によって異なるのは、彼らの生活基盤となる食生活の変化に伴うものとみなされる。食生活の変化については、千葉県姥山貝塚出土例におけるコラーゲン分析等からも指摘できる。 縄文時代人骨に関する研究は、人骨そのものの保存状態の不良さにより、関東地方が中心となる。そのため、それ以外の地域の様相をつかむことは容易ではない。しかし、こうした問題点を踏まえた上で、資料数には限界があるが、本研究の最終年度においては、北部九州(福岡県山鹿貝塚出土例、縄文時代後期に相当)における資料を付け加えている。その結果、この地域から出土する人骨資料において、関東地方と同様の古病理学的所見を呈することをつかんでいる。 この他、縄文時代後期の様相をより深く理解するために、弥生時代前期(島根県古浦遺跡出土例)に相当する資料にみられる古病理学的所見に関する調査も実施している。その結果、弥生時代前期においては、縄文時代後期と古病理学的所見において差異が見られなかった。弥生時代中期になると、「稲作」という新しい生業形態が導入され、食生活も変容したことが指摘されている。しかし、弥生時代前期においては、その限りではないことを明らかにすることができた。
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