本年度は、前年度に引き続いて戦前の調査の不足分を継続するとともに、戦後の日蘭の建築家の影響関係や交流について調査を行った。 戦前の調査の不足分については、戦前にオランダの建築を特集した日本の建築雑誌や書籍の文献を収集した。日本では特に1920年代に、複数回オランダの新興建築が雑誌や書籍で特集されている。その特集では、いわゆるアムステルダム派やウィレム・M.デュドックといった、「白い箱」のモダニズム建築ではないものの紹介が多いが、当時の日本の建築界が、フランスやドイツとともに、オランダに大きな関心を寄せていたことが分かる。 戦後の建築界の日蘭の直接的な交流は数少ないが、CIAMの最期に登場したチーム10のメンバーで、戦後のオランダ建築界に大きな影響を与えたヤコブ・バケマとアルド・ファン・アイクは、日本で1960年に誕生したメタボリズムグループとチーム10を通じて交流もあり、その設計手法にも共通性が見いだせるため、バケマとファン・アイクに関する文献収集を中心に行った。今後、具体的な交流や影響関係を考察することが必要である。 また戦前にオランダの影響を受け、戦後に一層活躍した建築家として、村野藤吾と浦辺鎮太郎がいる。いずれも関西を拠点とした建築家であるが、彼らの戦後作品の資料を収集し、オランダからの意匠上の影響を分析した。煉瓦タイルなど素材の扱いや屋根の形状などにその影響を見いだせるが、それ以外に庁舎建築の市民ホールのあり方にオランダもしくは北欧の影響を見いだせた。日本の戦後建築は、ル・コルビュジエなどフランス系のモダニズムの影響が強いが、それに対抗するように、オランダや北欧をモデルとする建築が戦後も造られ続けたことが見いだせた。この点については、今後さらなる考察が必要である。
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