研究概要 |
2008年に発掘調査を実施したペルー北部高地カハマルカ地方に位置するエル・パラシオ遺跡の出土遺物の分析を行った。全ての出土土器片を分析しタイプ分類を行い、写真撮影を行った。図面作成は未了である。土器の特徴を基に、同遺跡における建設活動がカハマルカ中期B(A.D.600-700)に始まり、カハマルカ中期C(A.D.800-900)に他地域とのインターアクションが活発になり、カハマルカ後期(A.D.900-1200)のはじめまで建設活動が行われたことが明らかになった。その後、カハマルカ後期の中盤(A.D.1000)以降建築物は埋められ、二次埋葬用の場として利用されたことも確認された。 A区の建造物はカハマルカ後期に建設が始まり,その後放棄された。遺跡の中核部にあたるB区では半地下式の墓室が検出され、内部はその周囲には副葬品が確認でき、ペルー南高地、北海岸起源の土器が含まれていた。この共伴関係によって他の地域の編年とのクロスチェックができた。C区では建造物は検出されなかったが最下層からワリ様式の遺物が出土することが確認できた。 また壁の接合面の観察と、土器の出土状況に基づき5つの建築フェイズを設定した。B区の墓は3時期目に対応する。 石器、金属器、獣骨、人骨の分析は未了であり,写真撮影のみ行った。 エル・パラシオはワリの支配下で建設が開始され、また支配の終焉とともに放棄されたことが判明した。40ヘクタール以上ある都市遺跡である。これまでワリ国家とペルー北部高地の関係が曖昧であったが、エル・パラシオ遺跡の発見により、カハマルカ地方がワリ国家の直接的支配下にあったことが明らかになった。8月の国際シンポジウムで発表し、世界の研究者にその存在を報告した。
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