今年度は西欧の解剖学用語の変遷について、特に17世紀以降の用語の変遷を調査するとともに、西欧語から日本語への解剖学用語の移入、及び日本語解剖学用語の定着・普及の過程についても調査した。 西欧語の解剖学用語については、ラテン語と各国語で同一部分に対して、様々な用語が使われるようになる過程を辿った。特に18世紀以降は各国で独自の解剖学用語が用いられ、当該部分についての古くからあるラテン語名称の存在のみが、異国間での用語理解を可能にしていた。しかし独自の用語の割合については国ごとに異なっている傾向も見られた。特にフランス語解剖学書においては他国とは異なる語義・語源の用語が使われることが多いと見受けられた。 日本語への西欧語解剖学用語の導入は『解体新書』のオランダ語からの翻訳が有名であるが、オランダ語の用語の背景にはドイツ語原著やその当時使用され知られていたラテン語用語が背景にあることが、西欧語全般の調査から明らかになった。そのため『解体新書』の訳業の価値は、オランダ語用語の翻訳にとどまらず、西欧語の解剖学書の理解を可能にしたことも重要であることが分かった。それゆえにこそ、『解体新書』の訳語は、幕末・明治初期からの英語やドイツ語の解剖学書の翻訳においても使用することができたのであり、ラテン語の国際解剖学用語と対応づけられる20世紀の日本語解剖学用語においても残っていることも、明治以来の用語の変遷を辿ることで明らかした。 西欧語と日本語解剖学用語の関係については、特に「蝶形骨」の名称について古代ギリシアから現代の日本語までの変遷を辿った。最終的にはギリシア語の用語が現在も用いられるが、その途中では骨そのものについての認識の変化があり、単に同じ表現の起源を見つけるだけでは用語の変化を十分に理解することができないことが分かったが、この理解は今後の用語研究に関して価値あるものと思われる。
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