日本のバースコントロール運動にとって大きな転換点となった国際族計画連盟(IPPF)の第5回会議は、アメリカ人慈善活動家でバースコントロールの推進のために世界規模での寄付をしたクラレンス・ギャンブルの呼びかけによるものとされてきた。この会議が重要なのは、この大会の開催を契機として日本政府が国家を挙げて家族計画を推進していったためである。そこで本研究は、「クラレンス・ギャンブル文書」のあるハーヴァード大学医学部図書館(Countwav Library)および妻の「サラ・ギャンブル文書」のあるハーヴァード大学ラドクリフ図書館(Schlesinger Library)において資料調査を行い、ギャンブルが、占領期から占領後にいたる期間において、日本のバースコントロールや人口政策にいかに介入していったのかを明らかにした。その際、そもそもギャンブルがなぜバースコントロールを推進するようになったのかも同時に解明しようとした。その結果、ギャンブルは、1930年代に福祉費の増木を懸念して、貧困層や移民たちにバースコントロールをすすめる活動をしていたこと、第二次世界大戦後は、その活動の拠点を海外に移すが、その最初の地が日本だったことが明らかになった。このことから、ギャンブルの活動をみることは、かつて自国内の「貧民」や「不適者」に向けられていた優生学的なバースコントロールのまなざしが、海外の非白人世界に向けられたひとつの例をみることになるといえよう。このように、本研究の課題であるアメリカ日本占領期における家族イデオロギーは、クラレンス・ギャンブルに注目することで、明らかになってきつつある。ギャンブルの例は、白人ミドルクラスの理想とする「家族像」の日本への輸出といえるからである。そのため、最終年度である2010年度は、この点を中心に実証的に検証する計画である。
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