占領期を通して、日本政府は切迫した人口増加問題を抱えつつも、バースコントロールは人口抑制の手段と公言することはなかった。その転換点は、アメリカ人慈善活動家でバースコントロールの推進のために世界規模での寄付をしたクラレンス・ギャンブルの呼びかけによって東京で開催された1955年の国際家族計画連盟(IPPF)会議である。そこで本研究は、昨年度に引き続き、「クラレンス・ギャンブル文書」及び妻の「サラ・ギャンブル文書」の資料調査を行い、そもそもギャンブルがなぜバースコントロールを推進するようになったのか、さらにギャンブルがどのようにして日本と関わるようになったのかを明らかにした。このように日本のバースコントロール運動をアメリカ国内における運動との連続性のなかで理解した結果、ギャンブルがバースコントロールを推進したのは、アメリカ白人エリート層のような「適者」が安心して暮らせるように、世界規模での「逆淘汰」を防ぐためであったことが明らかになった。つまりアメリカで支持をあつめた優生学的な「家族像」の日本への輸出ともいえる。以上のように、ギャンブルに焦点を当てることによって、アメリカ日本占領期には、白人ミドルクラスの理想とする「家族像」が、日本にもたらされたことが明らかになった。それは当然のことながら、日本側でこうした思想を積極的に受けいれる人びとがいたためでもある。
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