本研究は、経題が同一でありながらも版本一切経とは内容を異にする日本古写経中の漢訳仏典のうち、インド仏教との関連を視野に入れた上での検討が必要と判断される小乗経典の『五王経』と大乗経典の『普賢菩薩行願讃』の二経典について、その全容を総合的に解明し、従来の版本一切経だけからは知られない仏典の新たな様相を明らかにすることを目的としている。以上の目的を達成するために、当該研究期間の最終年に当たる平成21年度はそれぞれ以下の研究を遂行した。 (1)『五王経』 版本系『五王経』が古写経系『五王経』を下敷きにしながら編集されていることを明らかにした昨年度までの成果を元にしつつ、特に両系統の間で八苦の配列順が異なっている問題に注目し、インドの経論における八苦の記載について広く精査した。その結果、両系統に示されている配列順のいずれにも一致するものが見出されず、この点で『五王経』における八苦の教説の独自性が明らかになった。 (2)『普賢菩薩行願讃』 金剛寺本の漢字音写とサンスクリット原文とを対照させた基礎作業に基づきながら、金剛寺本の性格、音訳作成の時代、およびその背景などについて検討を進めた。その結果、当テキストが中国における密教の大成者である不空か、その周辺にまで遡る可能性があるのではないかとの仮説を持つに至った。また、わが国の悉曇学者である慈雲飲光(1718-1804)の講義録中には『普賢菩薩行願讃』の梵字と不空訳とに加えて「対訳音注」なる漢字音写も記載されていることが分かり、これがまさに金剛寺本の音写と同じであることも判明した。管見の限り、この「対訳音注」は日本仏教史上において金剛寺本と同系統のテキストの存在を確実に裏付ける唯一の資料である。そこで、金剛寺本の翻刻・慈雲の対訳音注・サンスクリットという三者の対照テキストを、前述の仮説と合わせて、論文に発表した。
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