本研究は、福音書に記録された身体を伴う具体的な活動が、その神学化の過程で抽象化・概念化されていった経緯とそれによって喪失された要素を明らかにすることを目的としている。今年度は福音書そのものの読解とパウロ書簡の読解を通じて、上記のような抽象化のプロセスが既に新約聖書のテキスト内にも顕著に見いだされることを発見した(下記1、2)。また、イエスの活動を身体的行為という観点から再記述する際に絵画作品の分析や生態心理学が有効であること(下記2)、さらに、その抽象化のプロセスを分析するために、認知科学や脳神経科学における表象に関する諸理論が有効との見通しを得た(下記3)。生態心理学と脳神経科学、それぞれの専門家に、自身のキリスト教研究に協力頂く体制が整ったこともまた、本年の大きな収穫であった。具体的な研究発表は以下の通りである。1. 福音書に見いだされる「接近」というパターン化された行為のイメージ分析を媒介に、宗教と精神医療の接点について発表した(日本病跡学会)。2. 生態心理学者ロジャー・バーカーによるbehavioral settingの理論を福音書の読解に応用し、イエスの「赦し」が具体的な行為を通じた既存権力への抵抗と力関係の再編成であることを、福音書を描いたレンブラントの素描も用いつつ示した(表象文化論学会)。この発表には、生態心理学の専門家、染谷昌義氏(高千穂大学)からのコメントを頂いた。3. 玉川大学脳科学研究所主催の研究会に招かれ、福音書におけるイエスの利他的行為を、進化生物学や認知科学を応用しつつ再読する発表を行った。発表後の討議では、坂上雅道氏、原塑氏(玉川大学)から、本発表が示した宗教的な利他的行為と道徳の枠内に留まる利他的行為との区別が、脳科学における表象を基盤とする判断としない判断との区別に符号しているという、今後の研究に繋がる重要な指摘を頂いた。
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