当該年度は、中世日本における十王図の移入と典拠テキストの問題に焦点をあてた。13世紀後半の作例である聖衆来迎寺所蔵「六道絵」15幅中には、閻魔王庁を描いた1幅が備わり、これが現存する最古の日本製閻魔王画像である。その図像は、閻魔王や冥官の服制、獄卒や罪人の姿態など多くの点において、中国寧波地方で制作された十王図からの影響が指摘できる。その一方で、中国製十王図では十王各々の周囲に配されるべきモティーフが、聖衆来迎寺本では閻魔王一体の周囲に集められ再構成されており、また瓦葺の屋根やみずらを結った倶生神など、中国製十王図には見られない要素も多く確認できる。この点から、聖衆来迎寺本の閻魔王庁幅成立に先立って、中国製十王図に依らない日本独自の閻魔王イメージの蓄積があったものと推定できる。本研究では、これを六道絵の典拠テキストの問題から考察した。その結果、13世紀以前までに六道絵の典拠として一般的であった『正法念処経』において、六道世界で亡者を断罪する「閻羅王」(閻魔王と同義)が繰り返し登場する点に着目するに至った。日本における十王信仰移入に先立って、同経を通じて閻羅王理解が進展していた可能性は高く、中世初頭に新たにもたらされた十王図の受容にも影響を与えたものと考えられる。 また、聖衆来迎寺本閻魔王庁幅画中色紙形には、『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』からの引用文が記されている。同経の原型は唐代に成立したものと推定されるが、大幅に加筆・改変されつつ中世日本で流布した点に特徴がある。同経に詳述される、閻魔王の住処、業鏡や獄卒による責め苦は『正法念処経』における記述と重なる点も多く、所為経典という側面から見ても、日本における十王信仰展開の背景には、『正法念処経』を通じて進展していた閻羅王理解が前提となった可能性が高い。
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