書画会や書画展観は、絵師の伝記的研究はもとより、絵師間の交流を促進し、画風の混淆を進めた場を提供した点において、絵画史上、少なからぬ役割を果たしたが、従前は京都と江戸で開催された会の一部について考究されるに過ぎなかった。 本課題では、能う限り多くの書画会開催例を把握することを目的とし、本年度は新たに約50件の事例を知り得た。時期的には文政年間から明治十年代まで、地域的には肥前長崎や備後福山、伯書淀江、陸奥本宮、同須賀川、同郡山など三都から離れた場所で、またさほど大都市ではない場所でも開催されていたことが、残存する引札などから明らかにできた。参加者の多くは、地元で文化的な活動をしていた人々ではあるが、時折三都からの賛助者の名も見え交流の広域化が確認された。 また従来は、書画会の機構や参加者の意識を語る上では安西雲煙『近世名家書画談』や橋本雅邦「木挽町画所」(『國華』第3号)が引き合いに出されることが多かった。それに加えて従前触れられることがなかった幕末明治にかけて活動した漢学者岡千初(鹿門)の随想録『在臆話記』(第一集巻二)の記事を見出した。それによれば江戸幕府により設置された昌平学問所の書生は書画会出席が禁じられており、その事由のひとつに異学への接触を断つことが挙げられていた。このことからしても書画会席上においては様々な面での交流が活発になされていたことが明らかになる。 如上のように、本年度の研究によって、書画会の地域的な広がりや、官立学問所の書画会に対する見方などを明らかにする資料を得た。
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