「『うつほ物語』の俊蔭漂流輝」は、長篇物語の始発における俊蔭漂流譚について論じたものである。史実、説話、仏典などを基盤とし、物語がいかにそこから離陸し、虚構の世界を織りなしていくのかを分析している。とりわけ、歴史学、主に遣唐使を中心とする日中交通史の研究成果を摂取した学際的な論文である。承和の遣唐使に選ばれるも乗船を拒否した小野篁の故事とそこから派生した一連の説話が、俊蔭の物語と深い関連を持つことの指摘は、新たな視点を提示したといえる。また、後に成立した『浜松中納言物語』や『松浦宮物語』などの渡唐譚における異国の表象と比較することで、『うつほ』の対中国意識、あるいはしばしば指摘される文人精神を明らかにしている。『うつほ物語』作中人物覚書-三奇人の造型をめぐって-」では、あて宮求婚譚のなかで特異な位置を占める三奇人の物語の再評価を試みた。上野宮は、春宮や正頼を戯画的に映し出す鏡のような存在である。偽あて宮と幸福な生活を送り続ける上野宮の挿話が語られることで、入内後の藤壺と春宮の深刻な不和が照らし出されることを明らかにしている。また、三春高基や滋野真菅の挿話では、受領層の類型的・典型的な性格を極端に誇張・肥大化させて描くことで笑いを生じさせる、近世の気質物に通ずる手法が用いられていることを指摘している。従来、三奇人については、彼等の言動に韜晦された物語作家の批判精神を強調する論が多く、本稿もそれを追認するものではあるが、むしろ表現の分析を通して、物語の手法の巧みさを示した点が評価できる。以上、長篇『うつほ物語』において重要な位置を占める、俊蔭漂流譚とあて宮求婚譚について、新たな角度から分析し直し、その意義を明らかにした。
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