「芸術は表現である」という説に違和感を覚えた広津和郎のリアリズム文学の主張の意味について検討した。広津が用いた「散文芸術」という言葉は、以後の広津文学を貫く鍵となる語であるが、広津がこの語に託した意味は、独特のものである。広津は、この語に、「散文」による芸術という意味に加え、「直ぐ人生の隣りにゐる」芸術という意味を込め、人生的意義を含まない小説は、「散文芸術」の本道から外れる価値の少ないものであると定義した。これは、現在のこの語の用法と若干のズレがあるように思われるので、「散文芸術」という語が当時一般に有していた意味と、広津の定義との比較対照の必要がある。ところで、従来、この「散文芸術」なる語を広津の「造語」と見る説、この語の有効性を広津が先駆的に明らかにしたと捉える説があったが、大正後期の新聞雑誌を日本近代文学館、国立国会図書館などで調査した結果、広津以前にこの語がある程度の一般性を持って用いられていたということが分かった。そうした先行例と、広津の定義とを比較すると、広津の定義は明らかにそうした先行例から逸脱する独善的なものであったことが判明した。広津には、当時、盛んに唱えられた「芸術は表現である」という説に対して反発し、また、そうした説に不自然に囚われる当時の批評家に違和感を抱き、右のように主張したのである。そうした広津の着眼は鋭いものがあったし、それなりに意味を持つことであったのであるが、逆に広津は余りに「表現」を軽視し過ぎた。そうした姿勢が、「散文芸術」という語の定義が独断的になった要因となった。ただ、当時の関東大震災以後の混沌の中で、多くの芸術家は、現実と自分たちにあるべき芸術の形との関係を見つあ直していた。その中で、広津の主張は、プロレタリア文学の隆盛に見られるような、文学と現実が緊密になりつつあう傾向に対してはその可能性を代弁するものとして、右のクローチェ美学を中心とした動向に対してはその反措定になるものとして、文壇に少なからぬ反響を呼び起こした。
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