本研究の目的は、まず世阿弥能楽論の文脈の全体を反省・吟味することを通して、世阿弥の思想の基本的構造を明らかにするところにあった。19年度に、世阿弥能楽論そのものの吟味解釈を行ったことを受け、20年度は、研究計画のうちの、「世阿弥能楽論における「花」が「自己の変容」を意味する語であることを跡付けるために、世阿弥作の謡曲を精読・解釈し、シテめ変容・成仏が、現今のわれわれの「自己の変容」といかなる関わりを持つかを考察する」ことを重点的に行った。その成果の一つとして、謡曲「熊野」のうちに見られる、世阿弥及びその弟子たちの思想について考察した論文、「熊野の思想」(「山櫻」2号、2009年夏刊行予定)を執筆した。この論文において、世阿弥及びその一門にとって、神仏により頼むことが自己を変容させていくことと同義であること、自然の内に宿る神仏の力を感応することをきっかけとして神仏と交わりゆくこと、また人間は和歌や舞という形で、神仏から受けた力を外に表すことによって、ますます神仏との感応の度合いを強めてゆくということ、人と人とか交わり得るとすれば、それはそのような人と神仏との感応を媒介としてはじめて可能になること、などを考察した。「熊野」におけるシテの舞の意味を考察した本論文は、同時に、能の舞台で行われる舞の意味について、何ほどか解明の手がかりを与えているものであるといえる。
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