平成19年度は、20世紀フランスの文学者モーリス・ブランショの思想が、第二次大戦におけるナチによる大虐殺の後に文学一般の可能性を問うものにほかならないという点を、1940年代後半に発表された彼の文章「文学と死への権利」を詳細に検討することによって-戦後直後のフランスの文学界・思想界の状況に目配せしつつ-明らかにした。そのことによって、アウシュヴィッツという極限体験の後の文学一般の可能性にかんして、ブランショを参照しつつひとつの答えが提示されることとなった。それはつまり、言語を「死ぬ」という無限の運動と重ね合わせる場としての文学、という思考である。 また、ナチス収容所からの生還者のうちには音楽家が含まれていることに注目し、生還者たちの証言作品を読解しながらユダヤ人ゲットーや強制絶滅収容所において音楽家および音楽そのものの果たした(時として逆説的な)役割を分析した。音楽は、囚人たちを機械的に動かし、その死を早めるものとして利用されたのみならず、看守たちを和ませる力をももっていたがゆえに音楽家たちが収容所内の囚人としては特権的な立場に身を置くことができたという事実を分析しつつ、収容所内でもっとも音楽を聴いた人々である音楽家たちが、音楽の両義的な力によって生き延びることができた、という点を解明した。 そして、多くの収容所の体験談を通して個々人の経験に迫ろうとするピエール・ヴィダル=ナケと、文学作品の読解を通じて現実を捉え直そうとするピエール・パシェの共通点を指摘し、パシェの思想の核をなす観察という振る舞いが、人間を人間ならざるものとする強制絶滅収容所の企てに抗して、人間の臨界を見定めようとする行為であることを明らかにした。 これらの研究は、アウシュヴィッツに代表される極限体験はいかに語られるかという一般的考察につながるものと思われる。
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