平成20年度は、まず、戦犯や虐殺・拷問の加害者の記憶がその子供たちにどのように伝承・忘却されるかという問題について考察した。その際、直接の体験者でない人々として、アルジェリア戦争のハルキの娘ザヒーア・ラーマニー、フランスの対独協力作家の息子ドミニク・ジャメなどを取り上げた。そして、彼らが父親たちや国家の過去の所業の記憶に立ち会う仕方として、もっぱら個人的な追憶に基づく「家庭の父親」としての側面が強調される場合もあれば(その例としては、ヘルマン・ゲーリングの娘エッダや、第二次大戦中のドイツ軍兵士とフランス人との間の子供であるジョジアーヌ・クリューゲルなど)、しばしば、物語や詩からなる文学作品という形が選ばれることもある点を指摘した。父に対する愛憎拮抗する感情が、亡父が自分に幻想的に憑依する形で描かれるラーマニーの作品や、父の交友関係を子供の視点から詳細に描きながら、父の陥った罪を浮き彫りにしたジャメの物語を分析することで、回想録などとは異なって文学作品によって描かれるのが現実の多面性であり、彼らにおいては文学によって父たちの負の遺産が引き受けられていることが解明された。 また、そのシンポジウムにおける他のパネリストたちとの議論を踏まえ、なぜ人は大量殺戮に加担するのかという問いについて、トレブンカ絶滅収容所を例にとって考察した。虐殺の決定を下す上層部ではなく、現実に目前の人々を殺害した兵士たちにあっては、仲間の兵士たちに対する「順応の圧力」が大きく作用するが、その圧力は、殺戮がシステム化された絶滅収容所においてもSS間において作用していたことが、調査した証言資料のなかから浮かび上がってきた。
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