本研究の主眼は、一九四〇年代に焦点を絞り、中華人民共和国成立直前の文芸界において、中国の文学者・知識人たちがいかにして「新中国」を志向していったか、或いは志向しなかったか、を探るところにある。これを受けて本年度は、一九四〇年代に限定せず、関連すると思われる研究書・文献の収集を行なった。また、考察・分析を効果的にとり行なうために、これらの研究書・文献に関するデータの整理・統括を行ない、資料集・書誌の作成に取り組んだ。 収集した研究書・文献の具体的に資料の精読・考察にも入っているが、その際、個別の作品に関しては、作家が「いつ・いかなる土地で」執筆したものであるかに着眼している。その結果、一九四〇年代に活躍した作家銭鍾書が一九四一年に刊行した散文集『写在人生辺上』収録の散文について、国立西南聯合大学の存在が軽からざるものにとして銭鍾書および当時の多くの作家・知識人に影響を与えている点に着目した。西南聯合大学は抗日戦争という特殊事情によって一九三八年に成立し、四六年には歴史上姿を消している短命の大学であったが、戦争を背景にやむを得ず雲南省昆明に拠点を置きながらも、文学活動の面から言えば、豊かな実りの多く見られた陣地でもあった。銭鍾書の散文「悪魔の夜の銭鍾書先生訪問」には、そうした西南聯合大学における作家・知識人たちの姿や文学活動の様が垣間見られる。「悪魔の夜の銭鍾書先生訪問」については、以上の観点に基づき、銭鍾書の文学面からの考察をも加え、研究論文を一文執筆した。惜しむらくは、銭鍾書がこの散文を発表したとされる新聞『中央日報(昆明版)』に関する調査のために中国を訪れ、北京・中国国家図書館においてマイクロフィルム閲覧を行なったが、当該散文を『中央日報』中には発見できなかったことである。この点に関しては、同時代の他の新聞・雑誌等も視野に入れ、引き続き調査を進めていきたいと考えている。
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