本研究は一九四〇年代に焦点を絞り、中華人民共和国成立直前の中国文芸界における文学者・作家達の「新中国」の志向のあり方を探ることに主眼がある。研究費交付最終年度であった本年度は、研究の総括として成果発表に努めた。主たる成果として以下の二点を挙げる。 一点は「銭鍾書『囲城』解読2-恋愛と結婚に見る「近代」神話」と題する論考である。これは昨年度同様、一九四〇年代に活躍した作家銭鍾書の長篇小説『囲城』に関する作品論である。前稿は近代中国において、教養・学識のありように大きな地殻変動があったことを指摘し、旧式知識人だけでなく、『囲城』が新式の知識人の皮相浅薄な精神構造をも鋭く描き出したことを析出したが、本稿では、恋愛と結婚に着目した。『囲城』には幾つかの恋愛・結婚が描かれているが、二十世紀初頭から中期にかけては、中国では恋愛・結婚に対する思考や形式が大きく変容しつつあった。銭鍾書はそうした変容の過程を自身の恋愛・結婚をモデルに描き、知識人を中心に理想とされた西欧的な恋愛や結婚を自嘲してみせた。本稿は恋愛・結婚にも中国「近代」の陥穽があったことを分析・考察した。 もう一点は日本中国学会における「銭鍾書と父親「たち」」と題する研究発表である。この発表では銭鍾書が典型的な旧式知識人であった自身の父親の大きな影響下にあったことを、伝記的資料から指摘し、父親を超えようという様々な試みがあったことが銭鍾書の小説や散文の中に見出せることを示した。この発表は、本年度においてはまだ活字化という成果が得られていないが、論考を発表し、本研究の総括的な結果にするとともに、その先の研究につなげるものにしたいと考えている。
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