本研究が対象としているラジオ講座で使用されたテキストの探索及び当時放送を聞いていた人たちの授索を継続して進めた。残念ながら、この2件については、新しい発見はなかった。 新聞掲載のラジオプログラム欄や、関係記事の調査から、新聞に見られる日本語教育用教材が複数あることがわかり、その開始時期を確認したところ、併合直後、1910年9月までさかのぼることがわかった。 3か年の研究を終え、資料の発掘では、ラジオ講座のテキストそのものの発掘には至らなかったが、朝日新聞社発行の『週刊少国民』、『子供のテキスト』などを通して、ラジオ放送が子供たちにどのような位置づけにあったのか、日本語教育がどのように展開し、それがどのように紹介されていたのかについて、情報を得ることができた。周辺的な情報収集にとどまったが、放送というものが、一過性であることを考えれば、このような周辺資料の収集を今後も継続していかなければ明らかにできることは限られるだろう。 ラジオ講座の教材としては、朝鮮、シンガポール、南方で使用されていたものを入手することができている。台湾で使用されているものについては、存在は確認できているが、実物の入手には至っていない。 ラジオ講座と新聞の講座とのかかわりについて、先に述べたマスメディアの教育利用ということで調査を進めたが、関連は具体的に見られず、どちらかというと、学校教育と新聞の講座の関わりの方が強いように感じている。文字による教育と音声による教育の違いが表れているという解釈も可能だが、資料が限られているため、速断は避けたい。 本研究を通じて、ラジオだけを切り取っての調査には限界があること、マスメディアといったくくりで、しかも、朝鮮に限定せず、台湾や満州といった日本語教育が「国語」教育として展開した地域を広く俯瞰する研究が必要であることを痛感した。 今後、そういった視点での研究を進めていきたい。
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