本研究は、江戸時代における出羽三山修験道とその信仰の歴史的展開、およびその特質の解明を目指すものであり、信仰圏の縁辺部でありながら、三山のうち湯殿山信仰が特徴的に展開した信濃・越後両国(長野県・新潟県)の事例を中心に史料を収集、検討してきた。 本年度は、酒田市立光丘文庫所蔵の湯殿山別当・鶴岡藩士関係文書、新潟県の岩船町年寄文書、長野県の下越村名主文書等の調査、および越後村上・信濃佐久での出羽三山供養塔分布調査を重点的に実施した。それら先学が等閑視した同時代史料から、本末関係・檀家制度など制度的側面をふまえ、信仰圏縁辺部の在地社会に定着した修験の存立形態、および日本近代への道程における布教形態の考察を進めた。考察の結果、(1)17世紀前半、湯殿山行人が形成期の村協同体と結節して定着したものの、畿内本山による本末編成の進展にともない消長したこと、(2)18世紀中葉以降、信仰登山の盛行が羽黒山・湯殿山別当に既存宗教に対する内省を促したこと、(3)19世紀初頭、湯殿山一世行人鐵門海が在地社会の変質をとらえ、内省のうえに立って教学を再編、即身仏信仰を確立し、かつ即物的・直接的で平易に、在地の新興勢力、とくに個人の救済を説き布教する革新的な覚醒運動を体現したこと、以上3点を実証的に解明し、学術論文2件(内1件は印刷中)・学会発表1件の成果物を得た。 本研究を通じ、修験道史、ひいては宗教社会史において、日本近代の担い手である個人およびその心縁による社会結合形態を再検討することが課題化した。また、研究期間終了間際に確認された想定外の未紹介新出史料は十分に活用しえていない。これらをふまえ、次年度以降、江戸時代後期出羽三山修験の考察を中心とした新規課題を構築し、本研究を拡張しつつ継続することを計画中である。
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