19世紀を中心とする近代日本仏教史像の基礎構築を目指すという目的の下、平成19年度では第一に、明治ゼロ年代の教部省民衆教化政策と筑摩県の教導職、明治10〜20年代の仏教界全体の学校教育参入、という二局面を実証的に追究し、学会での報告および学術書(単著)『明治前期の教育・教化・仏教』の刊行によって、その成果を世に問うた。そこで改めて確認された更なる論点は、(1)近代仏教教団の末寺・信徒に対する影響力、(2)教団を超える僧侶(「脱教団的」仏教者)の行動の重要性であった。そこで第二に(1)に対応して、明治期真宗本願寺派の中枢を担った僧侶・利井明朗が住職を務めた常見寺の所蔵文書を撮影・整理する作業を行った。その結果、数百点にのぼる同教団関係者の書簡・上申書の存在が明らかになった(他日、その解読および内容紹介を行う予定)。また、真宗大谷派教団の行った明治期両堂再建事業に関して、京都府知事・政府要人との関係を示唆する史料を京都府立総合資料館・国会図書館などで収集し、仏教と政治の関係の一端を解明する論考をまとめた(印刷中)。そして第三に(2)については、明治初期の僧侶・佐田介石と、昭和戦前期に佐田介石を研究した仏教社会学者・浅野研真の関係史料を収集・整理し、1500点を越える史料群について仮目録を完成させた。こうした第二・第三の基礎作業から、真宗教団と「脱教団的」仏教者のあいだに、単に思想史的なレベルにとどまらない有機的連関を垣間見ることができ、今後の本格的な考察に向けての重要な足がかりを得た。
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