中世の地域社会における多くの行動様式に対しては、信仰のありようが深く関わっており、これら地域における信仰形態を検討することによって、地域社会を復元することが可能になる。そこでは信仰関係の対象物およびそれにかかる信仰形態に関するアプローチの深化が求められる。しかし、これらの検討については、ほんらい前提になるはずの地域信仰のあり方の研究が、製作された対象物そのものによって規定されてきた。そこで本研究においては、越後国内における信仰関係の対象物およびその製作に関わる社会的な背景、また社会関係を検討し、信仰のあり方を解明することを目的とした。 研究の最終年となる平成21年度においては、中・下越地域における信仰関連の伝世品を中心にして検討を行い、またこれらの銘文と関わる文献と比較して集成を行った。このなかでは、新潟県魚沼市所在の仏像銘文のうちに戦国時代の年紀と新潟市内の地名・寺院名が確認され、また和歌山県高野町所在の記録のなかに数代前とみられる時期の同じ寺院名が確認された。さらにこの寺院が現在も新潟市内に所在する寺院であることをほぼ確定した。そこから、戦国期における新潟市域の寺院の動向と仏像等の製作・そしてその移転状況がうかがわれる結果となった。本研究によって、仏像等の製作がその地域の要請によってなされたものの、その社会的背景の影響によって移動されている状況が示された。文献および出土遺物・仏像等の銘文などとの照合によって、地域信仰にかかる研究はさらに深化することが示されたものといえる.
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