本年度中、長沙呉簡の整理・公表の計画および内容に根本的見直しが加えられているとの情報に接したため、長沙呉簡に関する検討についてはいたずらに結論を急がず、データの整理を優先させた。一方、漢代における国家支配と地域社会の関係については、下記の新知見が得られた。(1)漢初における漢皇帝の支配領域は漢王国内に限定されており、支配階層の担い手も漢王国(准北出身者)と諸侯王国(各王国出身者)とで異なっていたが、文帝の即位に伴い対旬奴政策・対諸侯王政策の重要度が増大すると、次第に汎地域的な価値観が求められるようになった。(2)景帝期から武帝期にかけて漢朝が諸侯王国の人事権を掌握する過程で、深刻な人材不足状況が発生したが、これを補ったのは対旬奴戦争によって生じた軍功者や買官者たちであった。こうして地域性をもたない新分子が漢朝の国家機構内へと大量に入りこむと同時に、漢朝の人的ネットワークが拡大して、漢朝による「天下一統」が実現した。(3)前漢末、漢朝は「内臣-外臣構造」によって自己と「他」とを峻別する論理を制度化し、わけても別格の「他」であった匈奴に対する他者意識に基づきながら、「一統」全体の文化的特徴を定義するに至った。並行して、前漢末には多様な地域性を「一統」のグランドデザインのうちに位置づけ直すための諸改革が実施され、皇帝の信任を受けた者のみによって構成される、特定の地域性とは無縁の新「統治階級」が国家機構のうちに出現した。 以上の成果は、『早期中國史研究』誌所掲の論文、および「中国歴史上的統治階級」研討会(台北・6月)・「第三届中国中古史青年学者聯誼会」(武漢・8月)・日本秦漢史学会大会(静岡・10月)の口頭報告において報告された。
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