1860年の北京条約締結後のロシアによるウラジオストクの建設、中国北部の3港開港、日本の開港は中国系移民に東北アジアへの門戸を開いた。研究にあたり、移民の社会、移民受け入れ社会、特に奉天における慈善団などの組織に注目し、中国系移民の移民先での受容と排除について検討した。 この研究を通じて明らかになったことは以下の通りである。同郷人紐帯が強い集団はその中に互助機能があり、国際環境や経済環境が悪化しても一定程度の資本規模を維持した経済活動を行った。東北アジアにおけるこのような集団が山東幇である。これに対してそのような集団に属さない移民は、社会的弱者の立場におかれる。
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