研究概要 |
本研究は,イングランド中世初期社会の形成と変容を、人や物の結び付きとそれが創りだしていく「地域」に着目して、長期的かつ包括的に追究するものである。 2009年度は、10世紀頃から新たに登場した文書実践(割り印証書キログラフ、および複数作成文書)に注目し、その社会的背景を検討するための準備作業を進めた。比較のためにミッドランドからイングランド全域に対象を広げ、およそ1500通伝来している文書に目を通した結果、明らかとなったのは以下の諸点である。1, キログラフ及び複数作成文書は、発給主が聖職者である私文書にほぼ限定される。2, ある文書がキログラフで作成されたと判明するのは、それがオリジナルで伝来している場合に限られる。3, キログラフ及び複数作成文書は主として文書に記載された行為の当事者に宛てられるが、その他の人物による保持を目的とした三部・四部作成の文書が散見される。これらから推測されるのは、キログラフ及び複数作成文書の登場が、(1) 文書による取引(所領譲渡など)が活発化する10世紀以降に、とくに聖職者が主導した新たな政策を示すと共に(2) 王が発給主である王文書に対する権威の承認、および(3) 当事者以外で文書の名宛人とされた人物の保証人としての重要な役割などを表すということである(以上の成果は『愛媛大学教育学部紀要』に掲載予定である)。この予備的考察を受けて、今後は個別の事例を詳細に追跡することで、文書をめぐる人的ネットワークを解明し,「地域社会」の形成過程に接近したいと考えている。 昨年度はまた、我が国におけるブリテン諸島史の研究水準向上を目的に進められている、『オックスフォードブリテン諸島の歴史』翻訳プロジェクトに参加した(第3巻『ヴァイキングからノルマン人へ』において、代表者が研究を進めてきた流通や史料論のセクションを担当)。
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