本研究は、ヒッタイト帝国時代の王、トゥトゥハリヤ4世が当時のパンテオンにおいて低位とされる山の神に傾倒したという矛盾点を明らかにすることを目的とし、当該年度はまずこの傾倒が王自身の個人的嗜好の問題であるのか、またはパンテオン内での神々の力関係が外部からの影響などにより変化をきたしたのか、に焦点をあて、国内外における文献資料から歴史的背景及び宗教概念やトゥトゥハリヤにまつわる名称の由来を検証した。その結果、現時点では当時のヒッタイト帝国内において、複数存在した異なる民族の儀礼文書において、トゥトゥハリヤは王名ではなく最古の記述では聖なる山、として名が列挙されていることが確認された。また、トゥトゥハリヤの名が認められる儀礼や祭祀文書においては、ハッティ系の文書に特定しており、この検証はヒッタイト帝国時代(新帝国)はフルリの影響が甚大であるため、フルリの王朝に政権が移行していったとの-学説に疑問を提示する根拠となり、また王の信仰傾倒理由を明らかにすることにより、これまで定説のないヒッタイト帝国崩壊への-連の歴史的背景を究明していく重要性を持つ。 また、当該研究年度においては、国内外において文献収集を行い、ミュンヒェン大学より許可を得て文献資料に関する504データをデータベース用フォーマットへ取り込んだ。さらに、ヒッタイト語一次資料を読み解く必要性からヒッタイト語講座を受講し、歴史文書、神話、政治文書を楔形文字資料から読み込み、当時の宗教的概念、歴史的背景を検討した。 中間報告として、これまでの研究の検討および分析結果を日本オリエント学会および古代オリエント博物館友の会講演会にて、それぞれ口頭発表、講演を行った。
|