当該年度は、昨年度本研究が文献学的に検証した、ヒッタイト帝国トゥトゥハリヤ王(前13世紀頃)の名の由来が人名ではなく、「聖なる山」として建築儀礼文書等に列記されており、聖なる山トゥトゥハリヤとしての記述は、帝国内の先住民ハッティ系の文書に特定している事実から、王とハッティとの関連性をヒッタイト語文献資料に基づき解明を試みた。さらに関連資料として特に首都ハットゥシャ出土の青銅板文書に焦点を当て、トゥトゥハリヤ王治世時の政治的情勢把握に努めた。青銅版文書とは、ヒッタイト首都における正当な王位継承権を持つが、トゥトゥハリヤの父ハットゥシリにより首都から離れたタルフンタッシャ市へ移住を余儀なくされていたクルンタと、トゥトゥハリヤ間で締結された(不可侵)条約であり、当時の政治的背景、対ヒッタイト帝国関係を示唆する文書である。また「ハットゥシリの弁明」文書から王と守護神、異国の神との関係を浮き上がらせた。 さらに考古学的調査としてトルコを訪問し、現存する王の印影や出土状況を確認し、可能な出土品に関しては撮影し、図像学的見地から解析を行うため画像資料の収集を行った。 資料分析の結果、王の山の神への傾倒は、王位継承に起因する帝国内の歴史的問題や宗教的観念が複合的に絡み合う問題を包括しており、トゥトゥハリヤ王の治世までヒッタイト帝国においては確認されていない、印章上の神の具象表現という象徴が初めて取り入れられ、先住民ハッティに回帰することで、対外的に王位継承の正当性を周知させる政治的意図を持つものと考えられる。これは政治的背景だけでなく、諸説が存在する王朝の出自や王位継承に至る経緯を究明する意義を持ち、歴史を明瞭にする重要性を持つ。 当該年度の研究成果は、資料分析結果の一解釈及び研究手法を日本オリエント学会にてそれぞれ口頭発表、ポスター発表を行い、国際ヒッタイト学会で口頭発表を行った。
|