平成21年度は、本研究の研究総括を行った。 ヒッタイト帝国内に複数存在した民族の宗教的背景とアッシリア帝国との利害関係を検証した。また、首都ハットゥシャにて王座にあるトゥトゥハリヤ王と、タルフンタッシャ市に在ったクルンタ(人名)間で締結された契約から、ヒッタイト帝国内におけるタルフンタッシャ市及びクルンタの存在を、解釈上の重要な考慮事項として検証を行った。また前度行った、研究中間結果(国際ヒッタイト学会、トルコ)を論証的に補完し、国際アッシリア学会(パリ)にて研究発表を行った。 この発表で、トゥトゥハリヤが王名としてではなく、建築儀礼や祭祀文書には「聖なる山」として古ヒッタイト語で記述され、それがヒッタイト帝国の地アナトリアの先住民である、ハッティ系文書に限定している事象を国際的に周知させ、本研究代表者は、トゥトゥハリヤIV世がヒッタイト帝国で初めて、山の神を具象表現として印影に施した事実を国際的に初めて指摘した。又トゥトゥハリヤという名が、当時(紀元前1680年頃~紀元前1200年頃)王朝で、強い影響力のあったフルリ民族ではなく、ハッティ系である必要性の背景が、文献資料「ハットゥシリの弁明」に顕著であることを指摘した。トゥトゥハリヤIV世の父ハットゥシリIII世は異国の神を崇め、正当な王位継承権をもつものを排除した。しかしトゥトゥハリヤIV世は、父親の勧めに反し異国の神を自身の守護神とせず、ハッティ系のトゥトゥハリヤ山を聖なる山として自身の象徴とした。長子相続の観点から捉えると、正当な王位継承権を持つクルンタをタルフンタッシャ市に留め、首都を脅かさない契約を締結させた。つまりトゥトゥハリヤが首都に治世する王だと正当性を周知させる対外的必要性から、アナトリアの先住民ハッティに強く回帰し山の神を象徴的に用いたという解釈を、国際的に発表した意義と重要性は非常に高い。
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