日本出土の新羅土器の分布状況は、時期的、空間的に特徴的であり、特に、7世紀以降では宮都の展開と強い相関関係にある。その搬入背景には政治権力が深く介入していたものと考えられ、外交の様相を示す好資料と考える。こういった認識から、本研究では日本から出土した新羅土器の分析、検討を通して、国家の体裁が重視される外交の展開を解明し、律令国家形成過程の特質を考古学的に考察する手掛かりを得ることを目的とする。 平成20年度は、リストの作成と準備とともに、報告図面の整理と分布図の作成を実施した。また、全国的に分布が密集し、外交施設との関係が想定されている大阪府の資料について所蔵機関に赴き調査を実施した。さらに、日本出土資料の起源を探るため、韓国において慶州以外の地域で資料調査を実施した。また、昨年度調査対象外であった栃木県出土資料について、新羅土器の可能性が高いと思われるものを確認調査した。資料調査を実施したのは、難波宮跡、大坂城跡、太井遺跡、国府遺跡、小山遺跡、西下谷田遺跡、韓国の尚州市伏龍洞230-3番地遺跡、京畿道烏山市陽山洞遺跡、京畿道龍仁市星福洞窯などであり、主に以下のような成果が得られた。 1.7世紀後半で顕著な外交使節の往来記事との関連が想定される難波宮跡一帯の資料は、6世紀末頃から出土量が増加し始め、7世紀前半までにピークがあることが判明した。このことから、当地域出土資料と外交使節や難波大郡との関係については再検討が必要である。 2.韓国における印花文や土器質は、京畿道一帯と慶州一帯とで様相が異なるが、日本出土資料は慶洲一帯の土器に近い様相を示す。
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