最終年度に当たり、実地調査と成果発表を行った。実地調査は前々年度より継続しておこなっている栃木県日光市男体山の奉賽鏡について、156点全点実測を完了した。また、東京国立博物館において日本各地で出土した平安鏡の実測調査も行った。そして、日本の平安時代鏡についての編年を構築し、論文として発表した。その中で明らかにしたのは、(1)平安時代に出現する瑞花双鳥八稜鏡は5型式に分類できること、(2)それらはほぼ単系統的に変遷していること、(3)出現期(9世紀前半)の瑞花双鳥八稜鏡は、もっとも鏡製作が隆盛した盛唐期(8世紀前半~中頃)の唐鏡をモデルにしたとみられること、である。これは、瑞花双鳥八稜鏡が日本で創出された独自の意匠を持つ鏡という通説とは異なる新評価である。そして、日本の型式変遷と、同時期の中国(五代・宋・金)の銅鏡の型式変遷を比較すると、両国の銅鏡文化は9~11世紀中頃までほぼ没交渉であると推測した。同時期の韓半島(高麗)では、日中の鏡のごく一部を受容し、踏み返し鋳造による量産をおこなうが、どのような基準によって選択されたのかまでは明らかにし得ず、現地での実測調査を網羅的におこなうことが必要になろう。この他、男体山出土鏡の観察により、平安時代には奉賽品としての鏡の需要が確立していたこと、鏡製作地が複数存在したこと、既存の銅製品の鋳潰しによって銅を調達していたことなど、いくつかの可能性を導き出した。今後は、蛍光X線による分析等も取り入れて、これらの想定を裏付けていく作業が課題となろう。
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