本年度は、まず近畿・東海地方の戦前期の市区町村別ベクトル地図データを作成した。これは1920年代から40年代までの行政界の変遷を含むデータで、学術的な有用性は高い。次に、1944、45、46年に行われた人口調査のデータを使い、市区町村別の統計を整備した。 また、戦時期から復興期にかけての都市計画について検討した。事例として、大正末に宅地開発を目的として設立された埼玉県の浦和耕地整理組合を取り上げた。そこでは、都市化の進展による宅地化目的の耕地整理事業の開始という一般的な目的とは別に、埼玉県・知事の強い意向が読み取ることができた。また、耕地整理後の土地所有関係を見ると、戸建住宅地区においても少数の地主が広い土地を所有しており、住民の多くは借地に居住していたことがわかった。その状況が変化するのは、戦後に出された財産税法である。これにより、高額所得者が財産税を支払うために土地を売却、あるいは大蔵省に物納した。物納された土地の多くはその後居住者に払い下げられた。これにより、戦前の借地・借家居住から、戦後の土地・建物とも自己所有の形態へと変化したプロセスを明らかにすることができた。 さらに、戦時期に疎開空地として建物強制疎開が行われた地域の戦後の状況について検討した。埼玉県においては、疎開空地として指定された箇所は少ないものの、戦後も広幅員道路として残っている事例が見られた。一方東京では、疎開空地の大部分は建築物で埋められてしまった。新聞記事によると、埼玉県においては疎開空地の土地は買収されたのに対し、東京においては借地として借り上げられた形式となっていた。これにより、疎開空地の戦後の活用方法が異なったと推測される。
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