情報化が国家の統治システムと個人の主体性に及ぼしつつある影響について調査を行ない、理論的検討を行なった。具体的には、さまざまな監視技術・監視システムが社会へ浸透し相互に結合されることによって個人のあり方が総合的に把握されるという問題につき、そういったシステムの活用例、肯定側・否定側双方の意見・論拠に関する調査を行ない、その妥当性評価に関する理論的研究を行なった。 特に、国家による監視が多いか少ないかによって個人の自由が制約されるという従来の一次元的モデルを批判し、国家・個人と中間団体の相克関係というむしろ古典的な法哲学のモデルが監視社会論について持つ意義を明ら加にした点、また監視の量よりもその使われ方が個人の自立性という観点からは重要であることを明らかにした点は、当該分野において前例のない指摘であり、画期的な成果であったと評価できる。 監視の利用法を評価する基準として大きく事前規制のための利用と事後利用のための利用を区別したこと、それぞれの長短について実際の例を元にある程度具体的に検討したこと、またそれぞれについて許容されるべき基準の要素(たとえば被治者の認識と同意、離脱可能性、潜在するリスクとその重大さ)を明らかにすることによって、国家による監視手段の活用や、中間団体による監視手段への規制について、その可能性と限界を検討する枠組を構築することに成功した。単に理論的検討が詳細であるというだけでなく、このような現実の社会制度の検討に向けた応用可能性については、実務家からも高い評価を得ている。
|