従来必ずしも本格的な研究対象とはされてこなかった、第二帝政期ドイツの穏健的自由主義思想を、積極的な政治秩序構想の1つとして評価できることを示した。具体的には、ドイツ団体思想の大家オットー・ギールケ(1841-1921)と、その弟子でありヴァイマル共和国憲法の起草者であったフーゴ・プロイス(1860-1925)の国家論を、同時代の支配学説との対比において理解し、「不徹底」と評価され続けてきたギールケ国家論は、まさに「不徹底」であるがゆえの絶妙のバランスを保っていたのであり、この点をむしろ政治構想としての強みとして積極的に評価しうることを明らかにした。
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