明治時代の法秩序論に関し、西周を中心にして研究した。研究の出発点となったのは、次のような先行研究における前提を問題視する視点である。第一に、西周の法観念の背景として法家思想を想定するという前提、第二に儒学は徳治主義を主張し法を否定するものとして理解するという前提である。 検討の結果、西周の思想形成と法家思想との間に有意な関係は見られず、これは同時代の法思想家の多くに共通していた。儒学の発想の中にないのは、あくまでも法家的な法観念であり、儒学には儒学的な法観念が存在し、儒学の発想の中から法についての議論を読みとることが可能であった。 以上の考察を通じ、慣習法的な法システムを理想視する西の法観念は、儒学の延長上に形成された.ものであることが明らかになった。儒学的な法観念を保持しつつ慣習法的な法システムを理想視する西は、秩序形成のための方法論として法に関心を持ったのであった。 また、考察の過程では、従来自明視されてきた西の思想形成に与えた徂徠学の影響関係についての再検討を加え、より詳細な形で徂徠学と西との関係を分析した。従来の研究では、西と関連づけて論じられる徂徠の思想は、専ら丸山真男が提示した徂徠像に依拠したものであり、そのような研究手法に対しては、近年、批判のまなざしが向けられている。本研究では、徂徠が書いたテクストにさかのぼって徂徠の思想そのものの理解を再検討した上で、西と徂徠とくの関係を分析した。この予備的考察もまた、秩序論に関わる問題であり、今後さらに発展させていきたい。
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