江戸時代において何が法源として認識されていたのかについて考察することで、秩序問題に接近しようと試みた。具体的には、「理」の文字を忌避する中で成立した「哲学」という用語の成立過程を調査し考察した。この語を考案した西周は、法源にもなり得、そしてまた秩序形成にも影響を与え得る概念であるはずの「理」を忌避するという姿勢を貫いていた。それは、「理」のような超越的な観念は法源にはなり得ないし、秩序の基にもなり得ないという発想に由来していた。 しかし、「理」を忌避するならば、何を秩序の基として想定し得るのだろうか。このことを考察するためにも、江戸時代以来の法源認識について検討を加えた。明らかになったのは、以下の2点である。第一に、それぞれの思想家ごとに、何を法源として意識するのかについてはかなりの差異があり、法源として想定されるもののバリエーションは様々であったということである。例えば、権力者の命令そのものが法を形成する、すべきだと考える新井白石のようなものもいれば、旧慣、古法こそを重視すべきだとし、権力者の命令でさえ、古くからの慣習を改変すべきではないと考える荻生徂徠のような思想家もいた。いわば、権力者の命令を法源として認識する発想と、慣習を法源として認識する発想とが同時代に於いて両立していたのである。第二に、以上のようなバリエーションが見られたにも関わらず、「理」や「天」などといった観念は、決して法源として認識されることがなかったということである。 一般に、近世の思想世界においては、「理」や「天」といった観念が重要な役割を果たしていたと言われてきたが、あくまでも現実の秩序を形成し維持するためのものとしては、それらは想定されていなかったということが分かった。では、何が秩序を形成していたのか、この点が今年度の研究課題となるが、昨年度の成果を踏まえ、「慣習」という観念に注目して検討してみたい。
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