ジュネーヴの時計産業とフランス・北サヴォワにおける時計部品産業との関連を中心に研究をおこなった。はじめに、19世紀後半から20世紀初めの北サヴォワの時計部品産業において、ジュネーヴの役割は18世紀ほど支配的なものではなかったのではないかという仮説をもとに論文を準備した。その際、もうひとつの時計産業集積地であるジュラ地方の役割をについて視野にいれて検討することが必要となったため、ジュラ地方の時計産業についての史料・文献を収集した。またヨーロッパ全体におけるジュネーヴ、ジュラ、北サヴォワの勢力関係を把握するため、1900年のパリ万博の出品カタログを分析した。現在執筆中。2008年2月4日から2月15日に、スイスのヌシャテル、ジュネーヴ、ベルンにおいて史料調査をおこなった。ヌシャテルにおいては、すでに述べたジュラ地方の時計産業に関する史料・文献のさらなる収集をおこなった。ジュネーヴにおいては、19世紀はじめから半ばまでの、ジュネーヴ市内の時計工が周辺地域での部品産業をどのように考えていたか、ということを分析する材料となる請願書・覚書を収集した。この史料と18世紀末から19世紀におけるジュネーヴと周辺地域の時計産業に関する研究とあわせて別論文を執筆中。さらにベルンでの史料調査においては、関税事務所に保管されていた、1873年から1919年までのスイスとフランスのオート・サヴォワ(北サヴォワ)における関税フリー・ゾーンとの間の貿易統計を入手した。この史料はジュネーヴと北サヴォワの間の食糧需給関係についての論文を構成する主要な史料となる。現在分析中である。
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