本研究の目的は、スイッチング・コストをともなう市場において、価格と製品面でのダイナミックな企業間競争を分析することである。平成21年度の1年間の研究を通じて得られた結果は次の通りである。まず顧客の購買履歴に応じる価格差別(behavior-based price discrimination)の既存研究を幅広くサーベイし、独自な理論モデルを構築した。すなわち、スイッチング・コストが存在し製品が水平的に差別化された市場において、複占企業が製品を長期間にわたって競争的に販売する場合、両企業とも顧客の購買履歴に応じる価格差別を実施しないことが均衡として得られた。一般的に、独占市場においては顧客を囲い込める価格差別戦略が企業に超過利得をもたらす手段として用いられる場合が多い。しかし、企業間競争が考慮されると、この超過利得を見込んで初期に激しい価格競争が生じるため、このような価格差別は企業にとって必ずしも良い戦略とは言えないことが明らかになった。 さらに、このような均衡が得られるのは消費者が合理的に将来を予想して購買行動を行う場合のみであり、将来を予想しない場合には反対に価格差別が実施される可能性が高くなることが分かった。各企業が顧客の購買履歴に応じる価格差別を実施しない場合、消費者余剰は価格差別を実施する場合に比べてより悪化するため、消費者の合理的な予想が逆に消費者自身に不利な結果をもたらすようになる。従って、企業は消費者の予想を逆読みし、将来の価格を差別しないと確約(Commit)することによって、現時点における価格競争を回避することができる。 現実的にこのような確約は不安定であるが、企業間の戦略的な相互関係によって達成される場合がある。さらに、公的規制等によって強制的に価格差別が実施できないときにも、これと類似した状況が生じうる。実際に韓国の携帯電話市場における端末機補助(端末機の割安販売)が2000年から法律で禁止された実態は、加入者を確保するための激しい競争がもたらす弊害を阻止するための措置であったと言え、本研究においてもこのような公的規制の意義を説明するインプリケーションが提示できた。
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