本研究は円や三角形などの幾何学図形の描線動作について発達的変化を比較文化手法により検討することを目的とした。これまでの実験では、ドイツ語圏と日本の右利きの幼児および大学生を対象に図形の一筆描き課題を実施し、描画の開始位置や描画中の手の運動方向を検討した。本年度はこれらの実験で得られたデータを総合的に分析し、描線動作の発達に対する書字習慣の影響について考察した。まず、描画の開始位置についてみると、幼児では図形の種類にかかわらず描き始めの位置に偏りはほとんどみられず、文化差もみられなかった。一方、大学生では描き始めの位置に文化差がみられ、円描画では、ドイツ語圏の大学生は円の左上から描き始めるのに対して、日本人大学生は円の左下から描き始めることが多かった。また、三角形などの図形では、日本人大学生の大半は中央の頂点から描き始めるのに対して、ドイツ語圏の大学生では左下から描き始めるものもみられた。つぎに、描画中の手の運動方向について検討したところ、幼児ではどの図形においても文化差がみられなかったのに対し、大学生では文化差がみられた。円の描画では、ドイツ語圏の大学生は反時計回りが多く、日本人大学生では時計回りが多かった。一方、三角形などの図形では、日本人大学生の方がドイツ語圏の大学生に比べて反時計回りで描くことが多かった。このような大学生にみられる図形の描き方の特徴は、それぞれの文化圏で使用する文字の書き方を反映したものだと考えられる。学校教育のなかで体系的に書きことばを習得するとそれぞれの文字特有の書き方を身に付けていくことになる。そして、そうした文字の書き順を図形を描くときにも適用してしまうために、本研究結果のような文化差が現れたと考えられる。今後は、左利きの被験者にも同様の実験をおこない、この点をさらに検証していく必要がある。
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